こんにちは~。uraちゃんです!

世界でいちばん高い山といえばヒマラヤですよね

エベレスト、マナスル、アンナプルナなどいろいろありますが、エベレストもヒマラヤは呼び方は違うものの意味は同じです。

世界の屋根ともいわれるネパールは、20154月にマグニチュード7.8の地震にみまわれ、首都カトマンズは世界遺産のスワヤンブナートなどヒンドゥー教のお寺が崩壊したくさんの人が被災しました。

ネパールといえば「エベレスト」のイメージしかなかったuraちゃんが、世界で一番美しい村「ラプラック村」へ行ってきました。

その時の様子と、ネパール・ラプラック村の行き方や場所、そしてネパール地震後の現在のカトマンドゥの復興状況など今日はお話しします!

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uraちゃんがネパールのラプラック村を訪れた理由

ラプラック村 ネパール 世界で一番美しい村

uraちゃんにとって、人生を大きく変える出来事が2011年にありました。

東日本大震災です。

わたしはその時東京にいましたが、当たり前日々が本当は尊いもので、大切なものだと気付かされた瞬間でした。

被害が大きかった東北地方には友人もたくさんいたので、居てもたってもいられなくなりボランティア活動に参加していました。

ボランティア活動中、世界中から日本にエールが送られ、海外からのボランティアもたくさん来ていることを知りました。

そこでつながった人達と交流していくうちに、ネパールのラプラック村のことを知ったのです。

ラプラック村は秘境と呼ばれるマイナーな場所なので情報はあまりありません。

復興の様子を見るのと自分ができることをしたいと思い、居てもたってもいられなくなり、ラプラック村に知り合いに同行させてもらいました。

ネパールの知識は全然なかったので、手探りで調べましたが

  • アジアの中でも貧困
  • 野犬やサルにかまれると危険なので狂犬病の注射は必須
  • 衛生面で注意が必要

などハードボイルドな環境であることがわかりました。

カトマンドゥの街を朝5時ころ歩いていると、野犬が20匹くらい集まっていてものすごく怖かったです~

ネパールはあちこちに野犬がたくさんいて、皮膚がただれた犬もいるし、狂犬病の致死率は100パーセントなので狂犬病の予防接種は必ず受けていきましょう。

登山家の野口健さんもネパールで野犬に噛まれたそうですし….

ちなみに、

わたしは日本脳炎、腸チフス、狂犬病や破傷風の予防接種を受けていきました。

予防接種についてはこちらでまとめているので参考にしてください。

インドネシアの予防接種の種類・費用を解説!バリ島旅行やジャカルタ出張で狂犬病注射は必要?

世界で一番美しい村ラプラック村の行き方や場所

ラプラック村はカトマンドゥから北西に約77キロのところにあります。

標高は2200メートルで、村の人口は4000人くらいです。

ラプラック村はグルン族のコミュニティで、ネパール語ではなくグルン語を話します。

日本からの直行便はなくて、経由地は、

  • タイ・バンコク経由
  • マレーシア・クアランプール経由
  • インド・ニューデリー経由
  • 韓国・ソウル経由
  • 中国・上海経由

などいろいろです。

ここでは、

わたしが行ったタイ・バンコク経由での日本からの行き方をご紹介しますね。

タイ・バンコク経由

  • 1日目:羽田国際空港1035スワナンプーム(タイ)国際空港 1505
  • 2日目:スワナンプナート国際空港1015トリブバン国際空港 1225
  • 3日目:カトマンドゥ→バルパック 車で約12時間 (バスもあり)
  • 4日目:バルパックから登山で数時間→ラプラック村到着!!!

と日本からラプラック村まで4日かかりました。

ネパール 地震 ヤルネシアン

土砂崩れしているところもあり、カトマンドゥからラプラック村まで12時間以上かかりました。

ラプラック村に到着した日は首に

カタと呼ばれる伝統のストール

をかけてもらいました!

ラプラック村 ヤルネシアン ネパール 地震

カタには

いらっしゃいませ・良い旅を

などの意味があり、出会いの時やさよならをするとき着けます。

バルパックからの登山は、気温30度以上のなか高低差のある山を越えるのですが、

ネパール ラプラック村 地震 ヤルネシアン

登山が趣味のuraちゃんでしたが、甘かった…

地元のポーターさんや子供たちはサンダルでスイスイと登っていくのに。

ラプラック村には6日間滞在しましたが、その中でお風呂は一度だけでした。

ラプラック村 ネパール 地震 ヤルネシアン

お風呂といってもシャワーですが…

標高2000メートル以上の場所にあるラプラック村は日中と夜間の気温差が大きくて、10月でも朝や夜はとても寒いのでダウンを着て寝ていましたが、昼は半そででちょうどいいくらいでした。

村には何ヶ所かトイレや水場があり、村の人達はそこで、水浴びをしたり洗濯をしたり、食器を洗ったりしています。

村にはいくつか民宿をしている村人の家があり、わたしは、村の看護婦さんのゲストハウスに滞在しました。

ラプラック村は地滑りの危険エリアでもあったので、ネパール地震のとき家屋はほとんど倒壊したそうです。

地震のあとはライフラインが寸断され孤立状態がつづき、高台にあるグプシという場所に避難キャンプが作られました。

グプシからは畑や学校も遠く「生まれ育った場所に宿る神様を捨てるわけにはいかない」と言って避難キャンプにいくことを拒んだ村人もいたそうです。

現在のラプラックは、自分達の手で家を建て直して水を引いたりトイレを作ったりしてすっかり復旧しています。

ラプラックの村人は働き者と言われますが、私が村で感じた事といえば、

  • 人懐っこい
  • 歌や踊りが好きで、何かあるたびに踊る
  • 顔が日本人に似ている
  • ネパールの国民食(ダルバート)やその他のご飯が美味しい
  • 宗教上、牛は食べられないが、水牛なら食べても良い
  • 小さな子供の面倒は隣近所のお姉さんが見たり、地域のコミュニティがしっかりしている

などです。

そこには昔の日本の農村のような暮らしがありました。

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朝は5時ころお母さん達が水汲みをしたり、ご飯を炊いたり、それを娘が手伝ったり。

1つのかまどで調理するので、時間もかかるし家事炊事など一日がかりです。

ご飯はスパイスを使わず、素朴な味付けなので日本人にとって食べやすいです。

ネパール 地震 ヤルネシアン

<ある日の一日のご飯>

  • 朝食 薄いホットケーキ 甘い紅茶
  • 昼食 インスタントラーメン ごはん
  • 夜食 ダルバート(野菜炒め、スパイシーな炒め物、ご飯など)

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おやつには、ふかし芋や茹でたピーナッツがよくでました。

村には小さな売店があり、歯ブラシや卵、インスタントラーメン、スナック菓子、ジュース(常温)などを買うこともできます。

ネパール ダプラック村 地震 ヤルネシアン

ネパール最大のお祭りダサインの時期と重なっていたので、外国やカトマンドゥに出稼ぎに行っている村人が帰省して大盛り上がりでした。

ダサインはヒンドゥー教のお祭りで、強く美しい女神ドゥルガが10日間の戦いの末悪魔に勝利したことをお祝いするお祭りです。

豊穣のお祈りと人々の生命力、家族やコミュニティの結束力を高めるお祭りでもあります。

ダンス下手なわたしも踊らされましたが、気分があがるお祭りでしたよ~。

この時期、新しい服を買うのが昔からの習わしで、女性はバッチリお化粧してアクセサリーなどで着飾ります。

そんな中、唯一のTシャツ姿が恥ずかしいuraちゃんでした。

ネパールのダサインは日本の正月にあたり、お祈りをして、ご馳走を食べ、おしゃべりをしてと一年で一番にぎやかです。

ネパールに行くならダサインのお祭りの時期に行くことをおすすめします。

みんなで、ネパールの歌を歌ったり村を探検したりとあっという間の6日間でした。

ラプラック村は山の中の小さな村ですが、外国人ウェルカムな雰囲気でほがらかで優しい人が多いです。

ラプラック村のことをさらに知りたい人は、写真家石川梵さんのドキュメンタリー映画がおすすめです。

石川さんは、ネパール地震から数日後にジャーナリストとして初めてラプラック村に入り、支援活動をしていました。

ラプラック村滞在中一人の少年と出会った石川さんは、悲惨に見えた村が実は

世界でいちばん美しい村

なんじゃないかと感じたそうです。

そうして完成したドキュメンタリー映画が

「世界でいちばん美しい村」

です。

わたし達が忘れてしまった日々の喜びや本当の幸せとは何か考えさせられる作品です。

ネパール地震

ネパール地震とは、2015年4月25日11時56分、ネパールの首都カトマンズから北西77キロ付近、ゴルカ郡を震源として発生したM7.8の地震です。

ネパールの人口の約30%にあたる約800万人が被災したと言われており、被災者の内訳は、死者8,460人・負傷者2万人以上です。

この地震によりカトマンドゥのダルバート広場、世界遺産のスワヤンブナート、ダラハラ塔など多くの歴史的建造物が崩壊しました。

観光スポットのタメル地区は狭い路地にホテルやレストラン、土産物店が密集していたので、救出作業はとても大変だったそうです。

私がネパールを訪れたのは、2016年10月でネパール地震から1年半がたっていました。

しかし、カトマンドゥ市内でも建物のレンガが倒壊して脇に置かれていたり、広場の建物の壁がはがれたままだったりと震災の爪あとが色濃く残っていました。

地震の被害はカトマンドゥ市内だけでなく、エベレストのベースキャンプでも大規模な雪崩が起きて登山客らが巻き込まれました。

その中には、登山のために滞在していたタレントのなすびさんや登山家の野口健さんもいましたが幸い無事でした。

地震のとき野口健さんが撮影した「不思議な写真」が話題になっています。

人の形をした影と光の輪がとても神秘的な写真で、見えない力に守られたのかもしれませんね。

ネパール地震のあと、5月12日にはM6.8の大きな余震が続きました。

余震、重機や病院、医師の不足、空港が1つしかないなど問題がたくさんあり、震源地の山岳地帯の村落の孤立化など救助活動が難航していました。

カトマンドゥの復興状況

震災から1年半後の状況は、壊れたままの建物そのままではあるものの、沢山のお店が立ち並び観光客も多く、活気を感じました。

地震で傾いた建物も多く、つっかい棒で支えているだけだったりします。

排気ガスが原因でカトマンドゥの空気は昔から良くなかったのですが、震災後の復旧作業でほこりが巻き上がりカトマンドゥ滞在中はとにかく喉が痛かったです。

中でも最も震災の爪あとを感じたのは、ダルバールスクエア周辺の建物でした。

ヒンドゥ教の生き神クマリが住むクマリの館も、傾いた建物をつっかい棒で支えていました。

ダルバールスクエアの周りのお寺も崩れている所が多かったです。

ただでさえ密集しているのに古い建物がほとんどで、「このままで大丈夫?」と心配になりました。

地震から4年が過ぎた現在では、ヒマラヤトレッキングのルートなども復旧し、エベレストベースキャンプ、アンナプルナなど主要ルートは問題なく通行できます。

まとめ

いかがでしたか?

今回は、

ネパール・ラプラック村の行き方や場所、ネパール地震のカトマンドゥのの復興状況などを見てきました。

ネパールの人々の素朴で支えあって生きる生活をしては地震の前も後も変わりません。

ヒマラヤ山脈の気高く美しい光景は必見ですし、一度ネパールへ行くと病みつきになる!?という噂もあり、uraちゃんも絶対また行きたい!!!と思っている国です。

病気に効く蜂蜜や、カシミアだったりの素敵なストールや鮮やかな刺繍のバック、オーダーメイドのサリーだったり買い物も楽しいネパール。

ぜひいつか行ってみてくださいね。

ばいばい~。